LCC(ローコストキャリアー)について

航空大革命が始まった。イギリスのロンドンからイタリアのミラノまでの航空チケット が、ハイーシーズンにもかかわらず、わずか35ユーロ(約5600円)。ロー・シーズン なら、1ユーロ(約160円)でEU圏外に飛ぶことができ、例えば、ロンドンからアメ リカのマイアミやニューヨークに、1~8ユーロ(約160円~約1280円)で移動で きる時代が訪れたのだ。

これらのサービスを提供する航空会社は、僕らにとってほとんどなじみのない会社名ば かりである。イージージェット、エアアジア、ライアンエアー……いったい、この10年で はじまった新興エアラインのいくつの名前を知っているだろうか? これらの航空会社 は、ドットコム系エアラインなどともいわれ、一般的にはローコストキャリア=LCC と呼ばれることが多い。ある地域に根差しながら、格安で特別なサービスを次々提供する さまは、インターネットが普及の兆しを見せた1990年代半ばのプロバイダー競争と、 状況がよく似ている。現れては消え、時には合併し、もしくは小さな会社が大きな会社を 飲み込む。そんな状況が、新興エアライン業界の間で起こっている。

これらのエアラインが現れた背景には、ITによる画期的な革命がある。
まず、予約はウェブが基本で、またほとんどのLCCの搭乗券は、自宅のプリンタで 自ら発券する。今までであれば、早めに空港に行って長い列に並び、荷物を預けて座席指 定をし、搭乗券を発券してもらうのが常だった。しかし今では、ウェブサイトで予約を し、自分で搭乗券を印刷し、ギリギリに空港に行って荷物をドロップカウンターで落とす か、もしくは手荷物だけならそのままセキュリティに進み、一直線に搭乗ゲートヘ向かう ことができる。機内の座席は全席自由。飲み物は各々空港の売店で好きなものを買って持 ち込むか、機内販売で購入。このあたりの感覚は、全席自由席の列車に近い。2時間前ま でに必ず空港に行って、長い列に並んで発券してもらっていた数年前が、まるで冗談のよ うである。30分前ギリギリに空港に行って、電車に飛び乗る感覚に近いのだ。もうおわか りだと思うが、一番変わったのは飛行機の乗り方そのものなのである。わかりやすく言え ば、敷居が低くなったのだ。

実際、数年前までロンドンの友人たちは「いくらで何時間でイピサのビーチにたどり着 けるか」を競っていたものだ。しかし最近は「自宅から何歩でイビサのビーチにたどり着 けるか」を競っている。意味はあまりないと思うが、あまりに海外旅行がお手軽で当たり 前になってしまったので、ちょっとしたゲームを盛り込む気分なのだろう。金曜日の夜に ロンドンを発ちイビサに向かい、ホテルは取らずに夜通し遊び、昼間はビーチで寝て、日 曜日の午後に再びロンドンに戻る。CD5~6枚の値段でこのような旅行ができる環境 に、今はある。

その旅行スタイルも実に奇妙で、というより普通で、海水パンツをはいてタオルと ちょっとした着替えだけを持ち、iPodと携帯電話をポケットに入れていく。バック パックどころか、まともなカバンすらも持たない。まるで、近所に買い物に行くかのよう だ。お金はない。時間もない。だから、荷物を預けることで料金が発生することもある LCCの時代に、本格的なバックバッタートラベラーなんて化石なスタイルに見えるの である。実際ヨーロピアンでバックパックを担ぎアジアを回るのは、お金持ちのご子息の 放蕩になっている。

僕自身、2008年初頭からヨーロッパを中心に仕事をし、ほぼ隔週で国際線に乗る 生活を送っている。そして、仕事以外でも「プラハにおいしい店を見つけたので、明後日 行こうぜ」や「ミコノス島で友人の友人のバースデーパーティがあるから、ジョインしよ うぜ」など、毎週メールや電話がある。理由はなんでもいいから、みんなでどこかへ出向 きたいのである。かつて電子メールを始めた当初、メールが来るのがとてもうれしかっ た、待ち遠しかった感覚を思い出す。なんだかわからないけど、ときめいたことをよく覚 えている。「えっ? そんな簡単に写真が送れるの?」に近い感覚で、「えっ? そんな に簡単に海外旅行ができるの?」の感じだ。

イギリスは島国だ。そして、日本も島国だ。海外へ行くとは字の通りで、かつては船、 いまは飛行機で、海の外へ行かないとなにも始まらないのである。現実的に資源も食料も 足りていないのだ。

飽くなき海外への欲求心は、イギリス人に学ぶところが大きい。戻るべきホームタウン があるからこそ、思う存分アウェーを楽しめるということなのであろう。ロンドンを基盤 にするLCCのイージージェットは、ついに2004年の旅客実績でブリティッシュ・ エアウェイズを上回り、イギリスにおいてはLCCがシェアの50%以上を確保するに至っ た。

このようなLCCのビジネスモデルは、1990年代アメリカでもっとも収益が高かっ たエアライン会社、サウスウェスト航空が先駆けだ。サウスウエストという名の通り、ア メリカの南西部を中心にサービスをしているエアラインで、僕もよくロサンゼルスーラ スペガス便を利用していた。初めてサウスウェストを利用したとき、戸惑ったことを覚え ている。全席自由席で、搭乗券の代わりに何度も利用可能なプラスティックカードを渡さ れ、機内に入った。まるでバスに乗り込むような感覚で、違和感を覚えたものだ。
しかし、いまは180度考え方が変わってしまった。

数時間前に空港へ行き長い列に並び、丁寧な対応のもと搭乗券を手渡され、セキュリ ティゲートに並び、空港のショッピングーモールを楽しみ、時にはラウンジやカフェでく つろぎ、アナウンスの声でゆっくりと搭乗ゲートに向かい、飛行機に乗り込む……むし ろ、このようなスタイルにこそ違和感を覚える。

このサイトをお読みの皆さんも、新幹線に乗る際、果たして数時間前に駅に行き、あちこち 見ながらくつろぎ、ゆっくりホームに向かうのだろうか。残念ながら、僕も含めて多くの 人々は、そんなスローな旅行を送る余裕はない。お金も時間も、満足いくほど満たされて はいないだろう。

LCCによる航空大革命に便乗すれば、信じられないほど安価であちこちへ行くこと ができるようになる。ビジネス的にはIT革命と呼ぱれた過去10年にわたるドラスティッ クな変化のおかげで、携帯電話とPCで多くの仕事の遠隔作業が可能になった。まとまっ た休みを取れる社会や、時間的地理的束縛から解放されたビジネススタイルが少しづつだ ができつつある。

なにしろ、10年前に机と足もとに積まれていた書類の山々は、デジタル化され、イン ターネットでどこでも閲覧できる。まさにフットワークそのものが軽くなったおかげで、 人々の移勁が促進された。LCCによる航空大革命とは、新しい民族大移動の始まりな のである。

地中海気候が素晴らしい夏の南スペインなどは、日々40度を越し、リラックスどころで はない。むしろ、真夏には南スペインの人たちがこのLCCを利用し、格安料金で北欧 に遊びに行っている。ワークスタイルの変化、気象変動、LCCの普及などが、民族大 移動を促進しているのである。

残念ながら、日本ではこの新しい航空大革命を体感することは、ほぽできない。なぜな ら、国が日本のエアラインを守るために、さまざまな規制を強いているからだ。ただ本轡 は、この規制の良しあしを論議するのが目的ではない。世界ではさまざまな新興エアライ ンが画期的なサービスを始めているので、せっかくこの時代に生きているのだから、ぜ ひそれらを享受し、目一杯楽しむぺきであろうというガイドブックである。

ヨーロッパやアメリカだけではなく、タイ、マレーシアなどからも現れたLCCは、 いまやあらゆるシーンで活躍を始めている。

なぜ、こんなに安くサービスを提供できるのか? どうしたら、このエアラインに 乗ることができるのか? 本書は、それらを本格的に楽しむための初めての日本語ガ イドブックだと思っていただいていい。当たり前だが、一歩国外に出れば、日本人でも 100%このサービスを享受できる環境にいる。ただ、いまはあまり知られていないだ けであり、あとは、本気で旅する心、遊ぶ心だけである。

ITやグローバリゼーション、さまざまな時代の言葉を聞き、理解するだけではなく、 本気で楽しむ21世紀が、いよいよ始まるのである。一度手にした携帯電話を手放せなくな るのと同じように、そして、なぜ手放せなくなるのかをうまく文章で説明できないのと同 じように、LCCを一度享受してしまうと、もうやめられなくなる。客船の時代から列 車、飛行機ときて、いよいよ次の時代へと向かう。オフコンと呼ばれる巨大コンピュータ が少なくなり、小さなサーバー群とPCやモバイルヘ変わったように、いまエアライン は変貌しつつある。僕らは、21世紀に生きているのだ。

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